2017年
6月
13日
火
DIY...なんだか最近盛り上がってきています。とてもうれしく思います。
僕がこのサイトを立ち上げたのが今から4年半前の2013年のお正月。
一戸建てを、ほぼ一人でセルフリノベーションしたのが2010年の4月なので既に7年も前のことです。そのころはDIYが何の略であるかすら、多くの人が認知していなかった気がします。
だからこそ当時、僕はこのサイトを立ち上げました。
これが、昨年あたりでしょうか?バラエティ番組で芸能人が自身のDIYを披露し始めたところから、一気に市民権を得始め、毎週のようにどこかでDIYの話題が聞かれるようになってきました。
でも、そうやってメディアが一斉に取り上げ始めると、本来の意義が失われ、あらぬ方向や予期せぬ方向へ物事が進んで行ってしまうこともあります。そんなことを今まで何度も見てきた気がします。
なので、そんな今だから、もう一度僕なりのDIYを纏めたいと思いました。
DIY=暮らし。
DIYは特別なことではありません。暮らしていくことそのものがある意味でDIYなのです。
ただ、この「暮らし」という概念が近代変わってきてしまっています。
どこか 消費=暮らし になってきている気がします。
例えば...。
庭に梅の木が植えられている。春を過ぎるとこの木に梅の実がたわわに実る。
この実を取り、下処理をして干す。そして梅干しが出来る。これは立派なDIYです。とても豊かな暮らしです。
一方、デパ地下で一粒数百円!なんて高級梅干しを買って、その味わい深さを堪能する。一見豊かですね。これ、もちろんDIYではないですが、僕はこれを豊かだとも思いません。単なる消費活動でしかないですから。
前者には、「梅干しを作る」という昔の日本人の暮らしそのものがあります。さらに、庭に梅の木を植える。さらには、梅の木に立派な実が実るように育てるというプロセスがあってこそ出来ることです。そのプロセスにはあらゆる課題が存在します。
梅の種類を知ること。庭に穴を掘ること。育成。剪定。添え木。摘果。などなど。一粒の梅干しの為にやらなきゃいけないことが山ほどです。
これを、メンドクサイと思うか、面白そう!と思うかです。
メンドクサイ。そう思う人は少なくともDIYには向かないです。
テレビでは簡単そうに見えても、ただ木を切るだけでも覚えなきゃならないことが、沢山あります。
全ては人が作ったもの。
自分の身の回りを眺めて見てください。
視界に入るほぼすべてが、人間の手によって作られたものです。神が創り給うたもの以外はすべてです。どんなものでも人の手を介し作られたものです。
その机も、着ている服も、今まさにあなたが覗き込んでいるモニターも。
故に、あなたにそれが作れないはずがありません。出来ないと思うのは、自らの可能性に蓋をしているだけです。難易度の問題はさておき。
突拍子もないことを吹いているだけに聞こえるかもしれませんが、これがDIYの精神だと僕は思っています。要はやろうと思うか、思わないかの違いだけなんです。あなたにもきっと作れるものがあるはずです。
いろいろと書きましたが、
つまり、部屋やインテリアの事だけにDIYという概念を適用するのは、とてももったいないことだと僕は思っています。自らの手から何かを生み出していくこと。さらには、先人たちの暮らしの中にあった知恵と技術と経験を受け継いでいくことがDIYだと思っています。
2013年
9月
13日
金
藤村靖之氏の文章を受けて・・・。
生きる力 |
3.11を経て、やっと人々は自らの生きる力の乏しさに気付きはじめた。 |
これを機に価値観の変容が起きはじめた。 |
しかし、高度経済成長期を経験し消費依存型社会に浸りきった人々は |
では、どうすれば、自らの生きる力を高めることが出来るのか・・・。 それがわからないでいる。 |
多くの人々は、企業に身を置き、貴重な時間と肉体を駆使し、その対価を得てきた。 |
そうやって得た対価を消費に回し、 その消費をまた別の誰かが奪い合い、そしてまた対価を得てきた。 |
経済というものはそうやって廻っていて、そこになんら疑いの目を向ける人はいない。 |
しかし、だ。 |
生きることは消費することではない。 |
生きることは金銭を得ることではない。 |
ましてや、争い、奪い合うことではない。 |
そのために、奔走し、消耗し、嘆き、哀しみ、苦しむ。 |
肉体を追い込み、消耗し、壊れていく。 |
もし、それが生きることだとしたら、もはや人類に未来はないだろう。 |
金さえあれば何でもできる・・・。一日も早くその幻想から抜け出さなければならないの ではないだろうか。 |
そういうことに、これを読んでいるあなたも気付き始めているのではないだろうか。 |
生きるということは、もっとシンプルだと思う。 |
人間の根源的欲求や活動に対して、どれだけの知識とスキルを持っているか。 |
わかりやすく言えば、 |
もし、食糧難や飢饉に陥ったとき、はたして食料を自己調達できるのか。 |
もし、災害に見舞われたときに、風雨をしのぐ小屋を建てられるのか。 |
かつては、これをサバイバルと位置付けていた。どこか非現実的で自分には起こり得ない ことだと思っていた。 |
しかし、そのようなことが実は生きるために必要なことであり、大抵の人はそのスキルが 自分にはないことに気がついた。 |
どれだけ金を持っていても、どれだけ社会的地位が高くても、有事の際にはなんの役にも 立たないことに気がついた。 |
国が、社会が、そのシステムが崩壊したとき。今の君にはいったい生きていく力がある のか?家族を守れる力があるのか? |
|
2013年
9月
11日
水
作家で発明家の藤村靖之氏曰く、
豊かさはひとつじゃない。
単純に言えばお金を使う豊かさ、使わない豊かさ。
大きく分ければ2種類の豊かさがある。と。
前者は体と時間を駆使して消費社会に依存する生き方。
誰かと何かを競い、争い、奪い合う生き方。
後者は仲間とつながり、必要なものを生み出す生き方。
そうやって得た幸せを分かち合う生き方。
どっちが正しいとか間違っているとかではない。
我々には選択権があって、どちらを選ぶかということ。
もちろん僕は後者を選んだ。
だから、いまのような暮らしをしている。
僕にとって一見、幸福なように見えた高度経済成長期は目くらましだった。
その先には競争と争いしかない。疲弊し壊れていく人々が見えてきた。
豊かさは選べる。選択肢はたくさんあるんだ。
3.11以降人々の価値観は急速に変わっている。
でも、それを満たすものの供給は決して間に合っていない。
高度経済成長期のなかを過ごし、消費するだけで自分の手でモノを作ったことがない人がほとんど。
そんな人たちは、自分はモノが作れないので・・・
と思い込んでしまっている 日々の暮らしのなかで、自分で出来ること驚くほど沢山ある。
それが人に出来て自分に出来ないはずがない。
家くらい、エネルギーくらい、食料くらい自給するのは簡単。
技術なんて仲間と時間さえあれば、どうにでもなる。
モノ作りを一般の人々の手に取り戻す。
それでも一人で作るには限界がある。なかなか趣味の域を超えられない。
ところがみんなで作れば人生になる。みんなでやらないと出来ない、作れない。
だから人を友人を大事にする。
ここで優しさが培われる。半端じゃない友情が産まれる。
リサイクルからアップサイクルの時代です。
リサイクルはもはや義務。そこに感動や面白さはない。
だったらこのあふれた資源を使って新しい価値観を満足させればいい。
みんなが感動でわくわくしたりときめくものを作るんです。
作ればいいってもんじゃない。美しくなければ意味がないんです。
自分で作って自分で楽しむ。
そんな人間性を取り戻す生き方を発信していきたい。
藤村靖之
2013年
2月
05日
火
2013年
1月
29日
火
このサイトをスタートしてもうすぐ1カ月。お褒めの言葉や感嘆の声など、本当に沢山のメッセージをいただきました。
なかでも一番多かったのは、「すごいですねー!」正直うれしいです。それが聞きたくてやってるんですから。でも、それに少し慣れてくると欲が出てくるもので…。
僕としては、「僕もやりたい!」「教えて!」って声が聞けるともっと嬉しいんです。ところが実際のところ、そういう声はほとんどないのが実態…。
あと、「僕にも(私にも)作って!」って反響も多い。これも嬉しいです。でも本当は「自分で作りたいから教えて!」って言われるともっと嬉しい。
だって、僕が伝えたいのはDIYという行為の面白さだから。
一緒にやりましょう!DIY。
自分でやりたいって人には喜んでアドバイスしますよ。道具だって場所だって貸します。
一緒に楽しんでみませんか?DIY。
eijitomonaga@gmail.com
2013年
1月
02日
水
あけましておめでとうございます!
2013年、新年を期に久しぶりに個人サイトを立ち上げました。
ずっと、何らかの形でしっかりお披露目しようと思っていた僕のDIY生活。
パートナーも何らかの形で残した方がいいんじゃない?と常々。
なんせ素人なので、公開することもはばかられるダメダメな仕上がりの作品も多いんですが、出来栄えは別にして、チャレンジする意気込みだけでも感じてもらえれば、あるいは読んでくれる方々に自分にも何か作れるかも?そう感じていただければ・・・。
ネーミングの由来は「野暮ったいイメージのDIYをもっとハンサムにしたいから」
※詳しくはABOUTも併せてお読みください。
もちろん、空いた時間での不定期更新ですが、頑張って更新しますので温かく見守っていただければ幸いです。